夏休み
今年も早いもので、ほとんどの学校は夏休みに入られましたね。社会人の方は8月のお盆休みまで連休が待たれますが、いずれにしても蒸し暑い日が続きますので、どうぞ皆さまご自愛のほどお過ごしください。
小学生時代の夏休みの思い出といえば、毎年参加していたYMCAのファミリーキャンプです。ファミリーの名のとおり家族単位で参加できるキャンプで、山中湖にあるYMCAのキャンプ場で毎年1週間開催されます。このキャンプは日本で最古のキャンプといわれている、伝統あるキャンプです。今でも毎年開催されていますが、高校3年生を最後に参加しないまま月日が経ってしまいました。初めて参加したのは小3の時、教会附属だった幼稚園時代の担任の先生に「ご一緒に」とお声がけいただいたのがきっかけでした。キャンプには赤ちゃんから高齢者の方までが集い、今思うと実社会ではとても知り合う機会のないようなすごい方々もたくさんいらしたのですが、この場では全てがフラット。キャンプネームをつけられて、年上年下にかかわらずこの1週間だけはお互いにキャンプネームで(呼び捨てで!)過ごします。優しいおじさんだったキャンプドクターが、東京に帰ってテレビをつけたら某専門の大家としてテレビに出演されていたり、山口百恵さんの結婚式の牧師先生があのニコニコしたキャンプチャプレンだったり、子供心に驚いたものです。YMCAのキャンプですから、朝の礼拝と夕方の礼拝があります。場所は雨でなければ朝夕にかかわらず、グリーンチャペルという木立の中にある、木の板を渡しただけの簡素なベンチの礼拝所や、湖畔の砂の上に腰をおろして行われます。讃美歌の原体験は幼稚園でしたが、西洋音楽の原点である讃美歌を歌って育った経験は、今の自分の根幹に欠かせない音楽経験となっています。
ファミリーキャンプでしたが、私は翌年からほぼ一人で参加していました。キャンプには同世代の友達もたくさんいて、規律正しい生活ではありますが、大自然の中で本当に伸び伸びと自由に過ごせるこのキャンプが大好きでした。ボートの漕ぎ方を覚えたのもこのキャンプです。キャンプといってもテントではなく、キャビンという小さな山小屋が敷地内に点在していて、二段ベッドが4つ、最高で8人のキャンプだけでの家族が出来上がります。なので、一人で参加してもひと夏だけの家族とともにホームシックにかかっている暇はありません。途中、母や姉が参加した時期もありましたが、やはり彼女たちもキャンプネームをつけられて、キャンプ場では「ママ」「お姉ちゃん」と呼ぶことは禁止です。年齢も、社会的な立場も、ここでは全てがフラット、大人たちにとっても日頃の全てをニュートラルにできる、現実世界から隔絶された夏だけの別天地です。1年に1度ここで精神的にもデトックスをして、エネルギーチャージして、現実社会に戻っていく大人たちのことを、小さかった私はそこまで理解はできませんでしたが、とにかく毎夏キャンプが待ち遠しくてたまりませんでした。1週間の期間を、前半・後半と分けて半分だけ参加することも可能なので、初めて参加した年は前半だけ参加予定だったのですが、帰りたくないといって相当ゴネたのを覚えています。小学生は基本的に保護者が一緒でないと参加不可なのですが、あまりに私が帰りたくないとゴネるもので、同じキャビンのおばさまが、保護者がわりになってあげるからと言ってくださいました。もちろん東京の家に電話したときの母の答えは無情にもノーでした。
さて長くなりましたが、どうしてこのキャンプに両親が私を参加させてくれたのでしょう。理由はいくつかありますが、一番大きな理由はメインホールという食事をするサロンに「ピアノがあったから」です。小学生〜大学生まで、私は長期休暇に、ピアノのないところに旅行したことはありません。それは息苦しくもあったのですが、1〜2日もピアノに触れずに過ごしたあとに、元に戻すのがどれだけ大変か、子供心にそちらの方がはるかに苦しいことでした。大学時代に1ヶ月ホームステイしたニュージーランドのホストファミリー宅にも、ピアノがありました。英語のたどたどしい東洋の小娘にとって、ピアノが弾けるということが何より周囲とのコミュニケーションを助けてくれました。山中湖のグリーンチャペルでは、天気の良い朝の礼拝時に、木漏れ日を浴びながら足踏みオルガンで讃美歌の伴奏をさせていただいたことも懐かしい思い出です。自分にとって物心ついた頃から、ピアノがいつでも自分とともにありました。それは時には鬱陶しく、自由を阻むものでもありましたが、育ちあがりの折々に、何にも変えがたい自分の心の支えであったのだと振り返ります。夏になると、そんなことを思います。
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